「個人的な考えでは」という枕詞は、何のためにある。
ふて腐れて、座り込んで、動かないでいたら、 やるべきことが見えてきた。
対等なあり方を認めない世の中。 の、外に立てば、 僕は、世の中と対等であれる。
すべての戦争は、自衛のための戦争である。
夢。対等で平和で独立な人間関係の中で、協力して継続的に生活していくことが出来ているモデルの中にあり、そのモデルの次の瞬間における実現のための日々の実践に貢献し続けていたい。
言葉も野暮ったいくらいの平和。
スケベな人は、スケベなものを、覗くのが好き。 スケベな人は、スケベなものを、持って帰ったり、壊したりするのは、嫌い。 スケベな人に、僕はなりたい。 スケベな人に、僕はなりたい。
黙って見ていることしかできないんだということを。
究極の理想かもしれないけど、究極に当たり前のことを言っているつもり。
答えの出ぬまま卒業すべき問題と、答えの出ぬまま添い遂げるべき問題と。
治しちゃいけない病気って、あるでしょ。
誰も悪くなくたって、悲しいことはある。 世の中はもともと理不尽に出来ている。 理想も正義も責任もいいけれど、まずそのことに、痛もうよ。
一年に一回、ひきだしから出してきてしみじみと痛む程度の呪いなら、もう、とっとと忘れちまえ。
正しいとか卑怯だとか美しいとか、そんなくだらないことばかりにかまけてきた。今も。
表現は、ただ、切実であれば、それでいい。
削除依頼により削除。 時々ずぶりとやりたくなる。上辺の世界に安住する人たちの平和を踏みにじりたくなる。
対立しないということを、人知れず誓った人がいる。 柔らかな笑みの奥に潜む信念は、人に見せない。
君は、素直にねじれたね。
分からないものを分からないと認めないところが、現代という時代の幼稚さ。
言葉のイメージとは裏腹に、「村社会」に生きる人達は、個が立っているような。「自分」とか言ってさ迷っている人たちの方が、よほど正体を失っていないか。
純真さを失ったって、構わない。強くなるためじゃない。より多くの感情に寄り添えるようになるため。
「言葉」に囚われ、「声」を聞くことを怠けていた。僕は無神経な人間だったんだろう。
ふとした言葉が、その人を物語る瞬間に、立ち会いたい。
豊かなものに人は流れる。もう一つ上の豊かさに気づければ、世界はよくなる。
次の時代の豊かさを担う人、募集中〜。
皆、分かり合えないということを、いとも容易く受け入れ、笑い合っている。 僕はそのことに、ひどく傷つくんだ。今でも。
もう、決めた。僕は、一つの問いになる。
加害者としての意識があれば絶対に出てこないよね。「なるようにしかならないさ」なんて台詞は。
世界は愛で出来ている。憎しみで出来たものなど何もない。 そうでなければ、こんなに切ないはずはない。 こんなに哀しいはずはない。
こういう時に本性が出るよな。 愛や慈しみよりもまず、怒りが込み上げてくるよ。全てに対して。